2016年04月
2016年04月11日
2016/4/3 金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)
主祭神:応神天皇(おうじんてんのう) [品陀和気命(ほんだわけのみこと)]
神門祝詞を唱え、神門に入り、光の御柱を奉納
左巻き螺旋に空間がゆったりと動いていて、心地よさを感じる。
神門の中に、風が吹いている。
光はまぶしくなく、暗くもなく、周囲がぼんやり。
ずーっと奥の方に、光輝くものがあり、それを見た瞬間、その光は自分の胸へと飛び込んできた。
身体の中ではじけたような感覚。
光に包まれるのではなく、身体から光が四方八方に放たれた感覚。
空間の中に、自分も他人もなく、あるのは核(意識)だけ。
ぽっかりと浮かんでいると、周囲にも同じような核(意識体)が見える。
互いが微笑みかけたような気がした。
何のしがらみもない核は、何かを願えばそれが形になっていく。
形になっていく行程は、欲もなくただ楽しいだけだが、
ある程度形になって安定が見え始めると、欲が出てくる。
それがしがらみとなって、自分をしばっていく。
肉体ある人間たちよ。
何を望んで、形を作り出すのか。その願いは変化するのか。
また継続させていくには、何をしていくつもりなのか。
形を作ったことで、終わりではない。
経験はすべて核(意識体)に刻み込まれていく。
経験こそ、素晴らしい。
そなたは、もっと色んな経験を積んで、皆と共存せよ。
2016年04月10日
2016/3/8石鎚神社・本社(いしづちじんじゃ・ほんしゃ
主祭神:石鎚毘古命(いしづちひこのみこと) 誰かの役に立てれば、人は満足する。 自分の為であり、他者の為である行ないは、慈愛につながっていく。 まっすぐで何の疑いもなく、自身も他者も信じている。 そのようなそなたの心が、我の持つエネルギーとつながった。 石造りでできたアーチ橋の石は、なぜ落ちないのか、お分かりだろう。 互いに互いの存在を認め、必要だと認識し、力を合わせて同じ目的に向かっていく。 それぞれの力量を把握し、適材適所に配置できる智慧が必要となってくる。
別名:石土毘古命(いわつちひこのみこと)、石鎚大神(いしづちおおかみ)。
天照大御神をお産みになった伊邪那岐命・伊邪那美命の第二の御子
使者:Hさま
そなたの光の柱、清らかな青い光を放っている。
たとえ話をしよう。
大きな石だけでなく、その周りには小さな石があり、
また石の角度によって見事な石のアーチが出来ている。
そなたには、その智慧を授けよう。
光の柱に、その情報を託したぞ。
2016年04月09日
2016/4/9 日吉大社 西本宮
主祭神:大己貴神(おおなむちのかみ:別名大国主神(おおくにぬしのかみ))
使者:Kさま Kさま
さわやかな春風が心地よく、頬をなでる。 そなた達の楽しげな心、そして真摯な態度、とても好意を持って見ていたぞ。 そなた達には、まっすぐな1筋の光が入っている。 どんなに寄り道や回り道をしたとしても、 必ずやその願いを達成させるだけの力を持っている。 自覚はないかもしれないが、そのことを伝えておくぞ。 そなた達は、たくさんの感動とたくさんの喜びに溢れている。 周囲の人にも影響を与えていくであろう。 この旅は、その自覚を認識する旅となるであろう。 何も大きなことをするのではない。 そこにいるだけでいいのだ。 よい旅になるであろう。
自分が動くことで、周囲をも動かすだけの力も持っている。
自覚をすればするほど、それがそなた達の身体から溢れだし、
そなた達の中にあるエネルギーを、自信を持って放っていけばいい。
そなた達が自覚をすれば、そこにいるだけで、エネルギーは放たれていくのだ。
2016年04月03日
白龍の教え
~意識の核はやがて大いなる意識の元へと旅立っていく~
2015年8月21日 午前10時頃、白龍さまとの龍の御珠の交換を行った。
これはその時の模様を記したものである。
今から20年ほど前、お寺の掃除をしている時に、
御本尊のほかに、70センチほどの手足の欠けたお不動さまが、
寺の片隅にホコリをかぶって横たわっていた。
ホコリを払い、東京の自宅に持ち帰り、お祀りをしていた。
時は過ぎて、2011年3月11日の東日本大震災後、
京都の佛師さんに預けてあるお不動さまが完成し、
5月にそのお不動さまを取りに京都に行くことになった。
その時家の佛間にお祀りしているお不動さまは2体。
新しいお不動さまをお迎えすると3体になる。
3体のお不動さまをお祀りするのも大変だなと思いながら、お不動さまにこう尋ねた。
「新しいお不動さまをお迎えいたします。
あなた様は、今のお不動さまの身体から、新しいお不動さまの中に入られますか?」
「分かった、どうやら私の役割はこれで終わったらしい。」
そう言うと、一体の白龍さまがお不動さまの中から抜け出して行った。
慌てて白龍さまに「お戻りください。」と願ったが、もはや時は遅し。
二度と白龍さまはお不動さまの中に戻られることはなかった。
何ということを言ってしまったのだろうと嘆いていると、
私たちを導く存在から
「嘆くことはない。あの白龍はまだ若い。
かの龍神を生みだした自然界は、白龍が自由になったことを喜んでいるよ。」
そう言って私たちの軽率な行為を慰めてくれた。
そして主を失い、抜けがらとなったお不動さまの木像は、供養ののち、
荼毘にふし、灰は自然界の中へとお返ししたのである。
あれから4年の月日が経ち、2015年8月21日の今日、
白龍さまとコンタクトを取り、龍の御珠を奉納することにした。
白龍さまにまずお神酒を差し上げ、光の御珠を奉納すると、
そこには、弱々しく、のどから胸にかけて苦しみを訴える白龍さまのお姿があった。
呼吸が浅く、気が上気した状態で、短い白色の毛に黄緑色の光を放っていた。
まずその苦しみを和らげるために、
光の御珠と浄化の光を何度も投げかけるが、中々苦しみは取れないご様子。
そこで思い切って龍の御珠を交換することにした。
龍の御珠の力ならきっと自己治癒力を発揮してくれるだろう。
白龍さまに向かって、龍の御珠をお渡しすると、上気した気は下がり、
白龍さまの身体はまばゆいばかりの白い光を取り戻した。
「あなた様はお不動さまの身体から抜け出した時から、
そのようなお苦しみを感じていらしたのですか。」そうお尋ねすると、
「どうもそのようである。
龍や神は自分の意志で動くもの、
他の者の力や言葉で場所を動かされるものではない。
決してやってはならぬことである。これは忠告として聞いておくがよかろう。」
とおっしゃった。そして、
「さて、身体を自由にしてくれた故、お主の身体も癒してしんぜよう。
どこか悪い所はあるか。」
「はい、少々お酒をたしなみますので、
肝臓の働きを良くして頂けば有り難いと思います。」そうお答えすると、
「では、酒を飲めなくしてしんぜよう。」
「いえいえ、まだ酒は嗜みたいと思っておりますので、それはご勘弁ください。」
「わかった。では少量で満足するように、そなたの身体を癒しておこう。」
そうおっしゃられ、私に向かって龍の気を発して頂きました。
肝臓の周りと身体全体がほのかに温まったような気がしました。そして
「私共から最後に白龍さまにお渡ししたいものがあります。」
「そうか、なら頂こう。」
「白龍さまに、光の御柱を奉納いたします。」
そう言って、光の御柱を奉納すると、受け取られた白龍さまは、
「これはよい。私の身体の周りに、
小さな炭酸の粒のような光の泡が纏わりついてくる。
そなた達の身体の周りにも、光の泡で満たされているのではないか。
そなた達の願いは、人を治すことか?」
「いいえ、私共はそのようなことを考えておりません。」そうお答えすると、
「しかし、私がそなたを癒そうと送った私の気と、
そなたから私を癒そうと送られた光の中は、
同じように光の泡、癒しの泡で満たされているではないか。」
「私も初めてこのような体験をいたしました。
なぜなら、人を癒そうとして、または人の病を治そうとして、
光の柱や、龍の御珠を奉納しているわけではないからです。
しかし相手を癒したいと思って、その願いを込めて光の柱を発すれば、
その光が癒しの光になるということを初めて知りました。
これからはそのようにも使いたいと思います。
それでは、あなた様にもう1つお話をいたします。
あなた様の身体の周りにある光の泡の1粒を爪の先で突いてみてください。
その泡の一粒ひと粒には、
私たちの巡った神々の智慧やお考えがつまっております。」
そう申し上げると、白龍さまは、小さな光の泡を爪の先で突かれました。
しばらく沈黙が続き、
「分かった、私とそなた達は、同じものである。
同じ魂から分かれたものであり、
今は形と生きる世界を変えながら共に存在している。
そのことが分かった。すべてを思い出した。
我々には役割があり、それは個によってすべて違う。
そして共に経験を積み重ねている。
我々が大いなる意識の元に持ち帰ることのできるのは、経験・体験のみである。
これはすべてのものにひとしく同じ。私は今、この理を思い出した。
よって私の身体は透明になっていく。やがて形も無くなっていくだろう。
私は意識の核となり、大いなるものの意識の核へと戻っていく。」
やがて白龍さまは、透明な身体になり、消えて行かれた。
白龍さまが虚空に帰られたこのことと同じように、
私たち人も役割を終えれば透明な核となり、
大いなる意識の元へと帰っていくのである。
まるで一遍の抒情詩の物語の中に、私もとけ込んでいったような体験をした。
2016年04月02日
2016/4/1 豊岩稲荷神社
御祭神:稲荷大神・宇気母智神(うけもちのかみ)
神門祝詞を唱え神門に入り、光の御柱を奉納
炭酸水のように、周りが小さな泡で体を包んでいる。
自分と他人の境目が見えなくなるようなそんな感覚。
自分が薄くなり、肉体が見えなくなった時、そこに残るものは何か。
自分という魂のかたまり
姿形が透明になり、魂のみが浮かんで見える。
勢いのある竜巻に、薄紫色の筋が1本入り、天へと上がる。
龍の御珠を奉納
龍の御珠を手で取るという目的を持つと、
そこから姿に色が出てくる。
鋭く光る銀色の龍の爪が、空中にぽかんと浮かんでいる。
頭を冷やし、冷静になりながら、この龍の珠を練り続けよ。
練り続けるとは、経験を積むこと。
人生、考える時期がいずれくる。
その時は、大いに悩み、行動せよ。
それは望めば、どんどんやってくる。
※豊岩稲荷神社
東京都中央区銀座7-8 TOTOビル裏